こどもの日の兜はお下がりじゃダメ!?そんな疑問にズバリ回答!
もうすぐこどもの日!
こどもの日には兜を飾りますよね。
新しく男の子が生まれたご家庭だと、
兜って値段も高いし、
お下がりじゃダメなのかな?
と思っているかもしれません。
こどもの日の兜は、
1人に1つという説があります。
兜はその子の厄を取るものだから、
お下がりじゃいけないというのがその根拠です。
この説を信じている人も
多いのではないでしょうか?
でも、それって本当ですかね?
今回は、
こどもの日の兜、お下がりじゃダメなの?
という疑問にズバリ回答します!
こどもの日に兜を飾るようになった由来
疑問の回答の前に、
こどもの日に兜を飾るようになった、
由来を見ていきましょう。
由来を知ることが、
回答のヒントにつながります。
こどもの日の兜の発祥は鎌倉時代
こどもの日に兜を飾るという
行事の由来は古く、
鎌倉時代にまでさかのぼります。
鎌倉時代と言えば、武家社会。
武士が始めて権力を持った時代です。
鎌倉時代は武士中心の社会なので、
鎧や兜が大事なものとされていました。
そんな鎌倉時代には、五月の節句に、
座敷に兜や鎧を飾るという風習がありました。
この風習には、梅雨になる前に、
兜や鎧の手入れをするという意図があったんです。
また、災いが外から入るのを防ぐため、
端午の節句には、
兜や鎧を外に飾るという風習もありました。
鎌倉時代の時点では、
兜や鎧を外に飾っていたんですね。
この風習は室町時代にも、
受け継がれていきます。
Sponsored Link
こどもの日の兜の定着は江戸時代
江戸時代に入ると、
庶民たちが武家社会の風習を真似て、
棚を作って、鎧や兜を家の外に飾るようになります。
それがいつの間にか、
家の中に鎧や兜を飾るようになったのです。
当然、江戸時代の庶民は鎧や兜を持っていないので、
飾られていたのは、鎧や兜に似せた張り子でした。
鎧や兜の張り子を端午の節句に飾る風習は、
江戸の庶民の間に定着していきます。
当時、鎧や兜は身を守るための大切な道具。
鎧や兜を飾るのは、
命を守る象徴となっていきます。
そうした理由から、鎧や兜を飾る行為に、
男の子を災いから守って欲しいとの願いが
込められるようになったのです。
「こどもの日の兜はお下がりじゃダメ」は誰が言い出した?
これまで見てきたように、
兜がお下がりではいけないという説は、
鎌倉時代~江戸時代にはありません。
江戸の庶民が武士の真似をして、
鎧・兜の張り子を飾りだしたように、
こどもの日に兜を飾るというのは、
民間伝承でしかないんです。
実のところ、
こどもの日の兜がお下がりじゃダメという説を
誰が、いつ、唱えたのかは分かっていません。
こどもの日の兜、お下がりじゃダメ説の検証結果
こどもの日の兜お下がりじゃダメ、
というのはいつのまにか、
ちまたに広がっただけに過ぎません。
そのため、検証結果としては、
こどもの日の兜、お下がりじゃダメ説に根拠は無い
ということです。
なので、
「こどもの日の兜、お下がりじゃダメなの?」
と悩んでいる方には、お下がりでも問題ない!
とお答えします!
持ち主になる男の子が、
喜んでくれる兜をあげるのが一番ではないでしょうか♪